ムクナ豆と50年(エッセイ集)
藤井義晴
1. L-ドーパのはたらき
カフェインを含むコーヒー・紅茶、煎茶、トウガラシをたくさん含むカレーや激辛料理などによる刺激も間接的にドーパミンを増やす働きがあるので、これらとハッショウマメ粉との関係が興味深く研究対象に加えたいと考えています。
一方、依存症の原因の一つとして、ドーパミンの不足で起こり得るという説があります。パチンコで大当たりした場合、ドーパミンが大量に放出されて快感を感じますが、脳はこの快感を何度も味わいたいと思うようになり、毎日のようにパチンコをしたくなってしまうようです。競馬やゲーム依存症も同様です。
アルコール依存症の場合は、アルコールを摂取することによりドーパミンの放出を抑える神経伝達物質の分泌が低下し、結果的にドーパミン濃度が高くなります。アルコール依存症の人は、この快感を味わいたいと飲む量を増やし、飲酒をコントロールできなくなります。このような依存症の改善に、ドーパミンの直接の原料であるL-ドーパを多く含むハッショウマメを食べることが有益である可能性があります。
ただし、ドーパミンが過剰になると、食欲が増進したり、統合失調症の幻覚や興奮などの症状が起きるという説があります。このドーパミンの過剰による害を抑えるのがセロトニンというホルモンですが、ハッショウマメの種子や莢の毛にはセロトニンも含まれているので、過剰摂取の害が出にくい可能性もあります。
このあたりのメカニズムの解明にはまだまだ研究が必要だと考えています。
2. かゆみを引き起こす物質
ハッショウマメの莢(さや)には、ビロード状の毛が生えています。日本在来のハッショウマメではこの毛が少ないのですが、アメリカの緑肥用品種のフロリダベルベットビーンや、ネパールやインド、東南アジアの品種の莢には毛がたくさん生えています。この毛は皮膚にささるととてもかゆいので注意が必要です。毛には針状体が存在し、これがヒトにつくとちくちくしてとても痒く、敏感な人は激しくかぶれます。この針状体には0.015%のセロトニンが含まれ、これがヒスタミンを放出させるために痒みの症状が出ると説明されています。
これとは別に、痒みの本体として、ムクナイン(mucunain)というたんぱく質加水分解酵素(システインプロテアーゼ)が含まれています。この成分は、トリプシンインヒビター(消化酵素阻害物質)と同様にたんぱく質なので、加熱すると構造が変化し、活性を失なって、かゆみが無くなります。
このようなかゆみ物質の刺激に対し、皮膚を掻くこと(掻破)によって、脳内で快感が生じることがあり、これは報酬系と呼ばれる中脳や線条体が関係することが報告されています。この脳内報酬系のニューロンもドーパミンを含んでいます。
ちくちくする毛が皮膚を刺激することで、脳内でドーパミンが増えて、やる気を高めているという可能性もあります。
これらの作用についても詳しい研究が必要であると思っています。
ふじいよしはる 東京農工大学名誉教授/ムクナ会会長
※ 1955 年兵庫県生まれ。博士(農学)。1977年京都大学農学部食品工学科卒業(栄養化学講座)、京都大学大学院農学研究科博士後期課程中退、農水省農業技術研究所に入省。博士論文は「アレロパシー検定法の確立とムクナに含まれる作用物質L-DOPAの機能」。オクラホマ州立大学生化学および分子生物学科客員研究員(併任)、独立行政法人農業環境技術研究所などを経て、東京農工大学大学院農学研究院国際環境農学部門教授、卓越教授、姫路大学特別招聘教授を歴任。現在、他感作用研究所所長を務める。
主な著作
『アレロパシー他感物質の作用と利用』〈自然と科学技術シリーズ〉(農山漁村文化協会 2000年)、『植物たちの静かな戦い―化学物質があやつる生存競争〈DOJIN 選書,71化学同人 2016 年)、『ヘンな名前の植物ヘクソカズラは本当にくさいのか』(化学同人 2019 年)、『植物たちの生き残り大作戦 おもしろ図鑑』新星出版社 2020年)
藤井義晴 Wikipedia
平野秀樹
1.パーキンソン病(1998年)
かれこれ25年前の1998年。
原因不明だった母の病名がようやく判明しました。――「パーキンソン病」。
四つ目の病院でした。
母の「パーキンソン病」は、気分が晴れず、もやもやとしたまま歩くことがつらくなる病気で、一歩目がなかなか出ず、ようやく動きはじめるようになると、今度は小股で素早いすたすた歩きになりました。気持ちは急いで歩こうとしていたと思うのですが、足がついていかないため、顔から倒れ、顔のケガを負う方が多いと言われています。母は道路の真ん中でこけて動けなくなり、救急車のご厄介になったこともありました。道路で倒れたまま、顔から血を流していたそうです。
当時、私は東京(農水省)で働いていて、多忙にかまけ、播州の実家には時々しか戻れませんでした。母の世話は思うようにはできず、案じながら悩んでいました 。自分をとるか家族をとるか。結局、その塩梅の結論がでませんでした。
時間の巻き戻しはできませんが、私にとってはずうっと尾をひいていて、後悔5割、納得5割です。自分が選んだ人生の選択なので納得するしかありませんが、今思うとそれでよかったのかな、と後悔するところが重く残っています。
2.藤井先生との新しい出逢い(1999年)
1999 年春――の頃です。
職場で回覧されてきた小雑誌を何気なく見ていると、あるページで手が止まりました。
短編コラムのコーナーで、八升豆。はじめて目にする名前の豆に釘付けになり、食い入るように読み進みました。曰く「パーキンソンに効く食べ物として、インドでは有名です」
筆者は藤井義晴さん。1955年兵庫県生まれ。京都大学農学部食品工学科卒業、現在、農水省農業環境技術研究所他感物質研究室長…、と紹介されていました。
「どこかで見たことがある名前だな、年齢的にもほぼ同じ。うーん」
しばらく考えた後、ハタと気付きました。
同姓同名の方がもし他にいなければ高校の同級生では…。その筆者とは話をしたことはないけれど、ひょっとしたら、英語と数学のクラス分け授業では同じ教室で学んだかもしれない。
1999年夏、つくば市の農水省農業環境技術研究所に電話をかけてみました。
藤井先生との初めての会話がこうしてはじまりました。
3.東北大学植物園にしか残っていない(1999年)
「雑誌に書かれていた八升豆の記事をみました。藤井室長は東高(加古川東)の生物部だった藤井さんでしょうか?」
霞が関からつくばへ、不安と心配が入り混じったまま電話をかけてみました。
(顔はうっすら覚えているけど遠目でしか見たことはなく、話は一度もしたことはない…)。
(虫がよすぎるかな…、卒業してから25年以上も経っている。大丈夫だろうか?)
そう案じながら話しました。
あっけなく、また快く藤井室長は反応してくれました。
「ああ、サッカー部の平野さん?」
少し驚きながらも、私の名前は覚えていただいていたようで、ホッと胸をなでおろしました。
幸運にもほどなく再会を果たすことができました。高校を卒業して26年ぶりでした。
同級生のよしみということで、その際、不躾にも「その八升豆を母親に与えたい」「何とか手に入らないものか?」と願い出ました。
藤井さんはちょっと困ったようで、「手元にその種はありません。日本ではもう栽培されていませんが、かろうじて東北大学の植物園から入手した日本在来種のハッショウマメとアメリカの緑肥用品種フロリダベルベットビーンを研究用に栽培している。今年の種子が収穫できれば少しでよければ送りましょう…」と快諾してくれました。
調子に乗って負担のかかる願いごとを頼んでしまったようです。私は自分の都合しか考えていなかったことに気づき、少し反省しました。
4.宮崎県で栽培(2000年)
半年ほど経った2000年2月――。
小さな封書が私の元に届きました。膨らんでいた封書の中には、二種類の豆が5個づつ同封されていました。東北大学の植物園から藤井先生が譲り受けたという八升豆とフロリダベルベットビーンです。私にとって最高のプレゼントでした。
とはいうものの、東京の狭い官舎住まいの私は、一本で相当な面積を占める八升豆を栽培できませんでした。
困り果てた私は宮崎に住む大親友のHさん(兼業農家)に身勝手にもお願いをしました。
「パーキンソン病になった母に、効果があるとされる八升豆を食べさせたい。東京には自分の畑がないので栽培してくれないか。八升豆は雑草のようなつる性のマメで、面倒な栽培になるかもしれないが…」と。
Hさんは大学の同級生でした。
事情を察したHさんは、八升豆を作ってくれました。
以来、私はHさんにご苦労をおかけしてしまったと思います。母が寝たきりで亡くなるまでの10年間、お願いしてしまいました。長年にわたって栽培をつづけてくれたHさんは農業のプロ。宮崎茶、切り干し大根を主業とする兼業農家で、県庁勤務の傍ら、合間を縫って専業と同じくらいの作物をつくっていました。
今もし、Hさんが生きていたなら、ムクナ豆の栽培指導をしてほしかったと思います。
5.50年ぶりの播州
母はムクナ豆のおかげで、パーキンソン病の薬の量は増えることなく、晩年をよく生きました。
でも残念でしたが2010年に亡くなりました。
当時、茨城県日立市にいた私は母の最期に間に合わず、その2時間後にしか戻れず、病院から移送される暖かい母の体をさすったものです。
ムクナ豆は遠く離れた親子を想わせ、つなぎとめる食べ物でした。
私たちにとってはかけがえのない豆で副作用がなく、幸せを紡ぎ出してくれた豆でした。
この幸せの豆を必要とする人に、安全なかたちでできるだけ多くの人に届けたい。
母の死とともにこの豆のことを忘れかけていましたが、50年ぶりに郷里に戻り、藤井先生と再会でき、八升豆のことを思い起こすうち、この播州で自然農業をはじめてみたいと思うようになりました。小規模でよいので、「三方よし」の活動で続けていきたいと思っています。
ひらのひでき 一般社団法人兵庫ムクナ豆生産組合 代表理事
※1954年兵庫県生まれ。博士(農学)。1977年九州大学農学部林学科卒業。農水省、環境省、国立森林総研に奉職。大阪大学医学部講師(環境医学)、青森大学薬学部教授(管理薬学)、姫路大学特任教授も務めた。現在、森林セラピーソサエティ副理事長、令和人間塾・人間学lab.理事を併任。
主な著作
『森林医学』『森林医学Ⅱ』(共編著:朝倉書店)、『森林セラピー ®』(共編著:朝日新聞社)、『森の巨人たち・巨木100選』(講談社)、『森林理想郷を求めて』(中公新書)